ばぁちゃんが死ぬ時

先週の木曜日の昼間のこと


オカンからメールがきた

「今、電話できるか?」


すぐさま電話をすると

週末、大阪に帰ってこれるかと聞かれた。

事情を聞くと

オトンの母親が胆のう癌で入院したとのこと。


すぐさま大阪行きの切符を手配し、土曜日の夕方、大阪に帰った。

そして日曜日に、ばぁちゃんが入院している高槻の病院に向かった。

オトンは朝まで元気やったのに出掛ける直前に体調が悪いと言って見舞いに行かなかった。

おそらく体調が悪くなったのは精神的なものだろう。

オトンは都合が悪くなると体調が悪くなる(笑)


自分の母親に会いに行くとき、特に、風見鶏も一緒に行くとなるとそうだ!

息子に自分が母親に罵られるところを見られたくないのだろう。



オトンを家において、オカンと2人で病院へ向かった。


病室に入ると酸素を送る管を鼻に通し横たわっているばぁちゃんがいた。

入るやいなや、ばぁちゃんが風見鶏の顔をみて

「どちらさん?」

と言った。


オカンも風見鶏も、ついにボケてしまったかと哀れみかけたが、名前を言うと


「あぁ〜!久しぶりで全然雰囲気変わって分からんかったわ」

と言った。


少しホッとした。

ばぁちゃんと会うのは7年ぶりだったから仕方ない。

少し体が小さくなっていたばぁちゃんは、相変わらずの大阪のオバチャンだった。

「彼女はできたのか?」

「うちの孫はあんただけやからな。」

「ここの看護婦さん、えぇ子おるよ」


と元気そうな繕いをしていた。


でも風見鶏には何となく分かった。

空元気であることが…


年内もつか、冬を越せるかといった感じのようだ。



人はいつか死ぬ。


ばぁちゃんが死んだ時、風見鶏は泣くだろうか?


オトンの父親は風見鶏が意識のない時に亡くなっていた。

オカンの父親は風見鶏が小学2年の時に亡くなり、風見鶏は周囲が驚くほど泣いた。

今思い返せば、そんなに泣いた理由は、とある後悔からである。


じいちゃんとは、いつもよく遊んでもらっていたが、
余命わずかとなり自宅療法に変わり、退院した日、病院へ迎えに行って一緒に帰ったときのこと…


なぜか風見鶏は不貞腐れ、じいちゃんが話しかけても素っ気ない態度をとっていた。

そして数日後、じいちゃんが死んだ。

生きているじいちゃんはその時が最期だった。

何であの時、素っ気ない態度をしてしまったのか…

と小学2年の幼い頭で必死に悔やみ、それが号泣した理由だろう。


さて、オトンは、ばぁちゃんが亡くなると両親を失うことになる。

ただ3人兄弟で兄弟は健全だから身内はいる。


オトンはばぁちゃんが死んだ時、泣くだろうか?


オカンにも弟が1人いる。

でも風見鶏には兄弟はいない…


オトンとオカンが死に完全に1人になった時、風見鶏は何をするだろうか?